大学に入学して、一人暮らしを始めた。

その頃から、鍵を閉めたかどうか、何度も確認するようになった。玄関を出て、数歩歩いて、また戻る。ガスの栓も同じだった。消したはずなのに、本当に消したのか、確かめずにはいられなかった。

確認しても、不安は消えなかった。もう一度確認する。それでもまだ不安だった。

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最初は「気にしすぎだな」と思っていた。でもそのうち、確認に費やす時間がどんどん増えていった。出かける前に何十分もかかるようになった。確認すること自体が強いストレスになり、体力も削られた。

それでも止められなかった。

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症状はそれだけではなかった。

気づかないうちに、誰かを殴ったのではないか。誰かを傷つけたのではないか。ガラスを割ったのではないか。そんな恐怖が頭に浮かぶようになった。そんなことをした記憶はない。でも「していないという確信」が持てなかった。

今でいう加害恐怖だった。でも当時はその言葉も知らなかった。ただ恐怖に支配されていた。

頭がおかしくなったと思った。誰にも言えなかった。言ったら、本当におかしい人だと思われると思っていた。

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強迫性障害という言葉を知ったのは、大学4年のときだった。

読んだ瞬間、「これだ」と思った。自分と同じ症状が、そこに書いてあった。病名があった。自分だけじゃなかった。

おかしいんじゃなかった。

あのとき感じた安堵は、今でも覚えている。それまでの不安と恐怖が、少しだけ形を持った瞬間だった。

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もし今、同じように「なぜ自分はこんなに確認してしまうんだろう」「自分はおかしいんじゃないか」と思っている人がいたら、この記事が少しでも届いてほしい。

あなたがおかしいんじゃない。それには名前がある。

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ミナト